佐賀農家の日々

佐賀県伊万里市で便利になった世の中で、手間のかかるストレスフリーの平飼いで外国産の餌に頼らないこだわりの餌作りを行っています。

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減っているものと増えているもの

先日、高校の友人の結婚式に参加した。

 

卒業してから10年経つ。

 

高校の友人の結婚式に呼ばれる場合、部活や特定の仲良しグループの集団として呼ばれることが多い。

 

しかし、この友人は部活やグループは別で、個人的に仲良い友達だった。

 

なので、テーブルはその友人の高校の時の部活のグループに入れてもらった。

 

高校ぶりに合う人達。

 

28歳にもなると、関心事がそれぞれ違ってびっくりした。

 

最近、結婚して家を買った人もいたら、転職して次の仕事を楽しんでいる人がいたり、離婚してまた別の人生を楽しんでいる人がいたり

 

10年前は横一線の高校生だったのに、今は同じ28歳ってだけで、置かれてる状況はバラバラだった。

 

時の流れを感じた。

 

僕達の頃は1学年200人以上いた高校だったが、この10年で120人ぐらいになってるらしい。

 

ちなみに同地区に4校あったのだが、そのうち2校は合併した。

 

10年でこうも変わるのか?というぐらいに変化してる。

 

この先の10年どうなるのか?

少し不安になる。

 

おそらく僕が住んでいる伊万里という市町村は今後ますます人口減少の道を辿る。

 

8万人いた人口は今5万人しかいない。

 

この30年で、おそらく3万人ぐらいになるのではないかな

 

日本全国がそうだ。

 

だから、もし、経済的な意味で考えるのであれば、萎んでいっているところで、新しいことをやるのは間違えている。

 

増えていることに着目しないといけない。

 

増えている指標は、平均寿命や外国人観光客や耕作放棄など。

 

文書を書きながら、まとまってきたが、この先の指針として、何が増えているのか?何が減っているのか?に着目して、

 

減るものに関して、それを増やしに行けるのか?もしくは静観するのか?なだらかに出来ないか?を考える。

 

増えてるものに関しては、そこに着目して流れに逆らわず波に乗れないか?を考えるのが良いなと思った。

 

とりあえず、何の考えもなく文書を書いていたが、気づきのある着地に終わって良かった。

 

文書を強制的に書くのはこのような効果があって面白い。
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地区の運動会に参加した


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昨日は、黒川町(僕が住んでいる町)の運動会だった。

 

僕は、審判長という役割を命じられため強制的な参加。

 

天気が良くて、気持ちの良い運動会だった。

 

とはいえ、僕が住んでる地区は、人が少なく、分団対抗リレーにも出れず、どこか少し寂しかった。

 

午後からは地区の皆様との懇親会。

参加者は15名は、ほぼ65歳オーバー

 

僕だけ20代という超アウェイな空間だった。

 

でも、この人たちがいなくなる10年後、どうなるんだろうか?
不安になった。

 

黒川町は人口2000人ちょっとの田舎の町。

 

そういえばどんな町なんだっけ?

 

geminiのdeep researchにて、黒川町の人口推移と歴史について調べてもらった。

 

かなり長くなったので、最後の部分だけ転記する。

 

黒川町は、明治期の村制施行により黒川村として発足し、農業や漁業、製塩業などを営む地域であった。歴史的な転換点となったのは、昭和29年(1954年)の伊万里市発足に伴う合併である。この合併は、単なる行政区画の整理ではなく、「伊万里湾開発構想」という明確な経済開発戦略に基づいており、黒川を港湾工業都市の一部として位置づけるものであった。

 

この戦略に基づき、特に昭和40年代後半から黒川町塩屋地区で大規模な七ツ島工業団地の開発が進められた。名村造船所をはじめとする企業の誘致・操業開始は、地域経済を大きく変貌させるとともに、昭和50年(1975年)には労働者とその家族の大量流入による急激な人口増加(社会増)をもたらした。これは、周辺地域で石炭産業が衰退し人口が減少する中で、際立った現象であった。

 

この工業化による人口増加は一時的なものに留まり、昭和50年をピークに、黒川町の人口は再び長期的な減少傾向に入った。これは、産業構造の変化、全国的な少子高齢化、若年層の都市部への流出といった、日本の多くの地方都市が直面する課題と共通する。七ツ島工業団地という産業基盤を有しながらも、人口減少に歯止めがかかっていない現状は、大規模工業への依存だけでは持続的な地域社会の維持が困難であることを示唆している。

 

黒川町の歴史は、行政主導の地域開発計画が、地域の経済構造と人口動態に如何に大きな影響を与えうるかを示す事例である。同時に、グローバルな経済変動や国内の人口構造変化という、より大きな力の中で、地域が持続可能性を確保していくことの難しさも浮き彫りにしている。伊万里市が策定する総合計画 における「時代に柔軟に適応し みんなで支え育てるまちづくり」という基本理念は、黒川町が今後、産業基盤を維持・発展させつつ、人口減少や高齢化といった課題にいかに対応していくかという問いに対する、一つの方向性を示していると言えよう。  

 

まさに行政主導で産業を作ってその課題が浮き彫りになってきていると思う。

 

現実に、人口はどんどん減少し、黒川町に住むのは外国人が1割を占めてきている。

ただ、その外国人は地域のコミュニティや活動には参加してない。

 

人口の中でも無視できない割合を占めているから、ここをなんとかしないといけないのではないのかなと思う。

 

また、geminiもいうように、どう地域が持続可能性を確保していくか?というのは大事な観点だ。

 

その土地ならではの、その土地でしかできないような特色のある仕事をやっていくのが良いと思う。

 

これから日本の人口はどんどん衰退していく。

地方はより顕著だ。

 

その地方において、仕事をする意味はなんなんだろうか

 

ここで次の時代のソリューションを見つけることが日本にとっても世界にとっても意味があるのではないのかなと思う。

 

キーは、農業・観光・不動産・福祉・AIだと思う。

 

 

 

 

 

 

福井に行ってきた

先日、家族で石川と福井に行った。

 

九州人にとって、北陸はほとんど縁がない。

 

北陸に行かずして、生涯を終える九州人の方が多いといっても過言じゃないだろう。

 

妻が妊娠をして、夏に3人目の子供が生まれることになり、その前に旅行に行きたいと思った。

 

石川の外国人観光客がすごいということを前に聞いたことがあったので、それをこの目で確かめてみたかった。

 

また、福井は日本一周したのちに、古民家を改修して、宿を作った友人いる。

 

その友人の古民家に泊まってみたかった。

 

まず、福島の話からしよう。

 

その友人の宿は福島の永平寺という世界遺産がある自然豊かな環境にあった。

 

都会で働いていた彼は、日本一周の旅を境に、生き方を変えた。

 

そして、資本主義ではなく豊かさを求める生き方に変わった。

 

それがばあちゃんちで宿をやることだった。

 

リフォームは、ほとんど自分たちの手で。

 

庭で鶏を飼育して、狩猟で鹿を獲っていた。

 

共感する部分が非常に多くて、とても良かった。

 

ものが溢れている時代。

欲しいものは何でも手に入り、生命が脅かされるようなこともほとんどない。

 

満たされた時代。

 

そこで、多くを求めず、自分たちの手で物事を進めていくことはとても難しいことだろう。

 

でも、そういう生き方が求められているなとも思う。

 

それを実践している友人はとても素敵だった。

 

夜ご飯は、くくり罠で捕まえた鹿肉だった。

 

自分で〆たらしい。

とても美味かった。

 

僕も狩猟免許持ってるから、狩りをやりたくなった。

 

生きているという実感がある。

 

 

福島で感じたことは、どこの田舎も一緒だなということ。

 

福島の景色は、綺麗だったけど、ほとんど伊万里のものと変わらなかった。

 

きっとここも伊万里と同じように若者が少なくて、産業が衰退し、人口がどんどん減少しているだろう。

 

どこの田舎も同じだ。

 

今、僕たちが生きている田舎は課題だらけ。

 

この課題だらけの田舎でそのソリューションを出せたら、とても意義あることだと思う。

 

そのためのキーワードは

 

農業、AI、福祉、観光、空き家、だと思う。

 

この辺りをもう少し勉強していき、衰退していく田舎で、どう生きるか?

 

新しい解を出したい。

 

もっともっと勉強します。

 

 

福井、行って良かったな。

 

友人は、まだ30代。

これからどんなふうに進化していくのだろうか。

 

 

 

もう一回発信を始める

※社内向けの記事

今日からまた発信していく

 

理由は、

自己を振り返り

シナジーを作るため

 

僕は自分で農業を始めて、かれこれ5年になる。

 

インスタグラムのフォロワーは4万人に迫り、従業員15名程度の組織になってきた。

 

卵の生産だけでなく、それを自社で加工し、自分たちで販売している。

 

田舎でかつ、農業という産業では、まあまあな規模になってきたと思う。

 

振り返った時に、ブログにて日々自身の考えを発信してきたことは、一つ重要な役割を果たしていていると思う。

 

ブログで書いた文章は、
(1)自分が見ている
(2)身内が見ている
(3)他人が見ている

 

社長になって組織を率いた今、明らかに自分の考えや状況を日々発信した方が、身内も他人もシナジーが生まれやすいと思った

 

これは自明だったが、なぜ、ブログを書かなくなっていたのか。

 

それは、悩んでいたというか、言語化が難しくなっていたのか、

定かではない

 

ただ、気持ち的に書きたくなくなっていた。

 

日々、仕事がどんどんと湧き出てくる。

 

以前は、ニワトリだけをみていたが、今は生産現場はもちろん、お客さん、社員、市場、社内の状況、地域社会、最新のテクノロジーとみないといけない事柄が増えた。

 

また、プライベートでも、子供が生まれたりして、変化があり、以前と比較して心も体も時間が取りづらくなっていた。

 

注意散漫になっていたのかな。

 

次々とスイッチして、思考が断絶的になり、深い思考ができなくなっていたのかもしれない。

 

まだあやふやな自分の感情を可視化して、人様に見せる形にするということに対して、抵抗があった。

 

でも、そういった思考や感情は、待っていても、はっきりしたものにならない。

 

むしろそこに飛び込んでいって、もがいているうちに形になっていくのではないか。

 

僕らがやっていることは、平飼い養鶏で卵の生産をすること

そして、その卵を加工して、お菓子を作っている。

また、そのお菓子を自社のECサイトや小売店で販売している。

 

他の農家が10年や20年かけてやるようなことを3年ぐらいでやってきた。

しかも、綿密な計画や準備なく。

 

僕はやりたいと思ったことをすぐに形したいと思う。

頭の中にあるものをすぐに外に出した方がいいと思った。

むしろ出すことで形作られていくのではないか

 

今、僕たち(日本が置かれている)状況はそんなに良いものではない。

 

人口減少し、物価が上がり、政治が不安定で、この国の未来に希望を感じている人間は少ない。

 

先日、石川に行った。

石川は日本人はほぼいなくて、歩く人はほとんど外国人ばかりだった。

 

トランプ大統領になり、高い関税などを強いて、自国で経済を回す方向性に舵を切ろうとしているアメリカ。

 

これからどうなるのか

 

でも、否が応でも、こんな田舎で暮らしていても、グローバル経済に引っ張られてしまう。

 

だから、世界で競争するというか、世界で競争しないところに、自分たちを置かないといけない。

 

誰もやってないこと。

 

田舎は、これから人がいなくなる。

インフラが崩壊し、社会が回らなくなる。

 

そこで、どう生きるか。

新年早々のインフル

新年早々、インフルエンザに罹ってしまった。

 

3日連続の40度の熱。

かなりきつかった。

 

食事も喉を通らなかったし、寝るのでさえ体が芯から冷えて難しかった。

 

これが続くのなら生きるのは嫌だなと思うぐらいきつかった。

 

でも、そんな体験を新年早々にできたことで良かったと思う。

 

僕が休んでいた間の二人の子育ては妻がやってくれて、会社はチームのメンバーがやってくれた。

 

僕がいなくても世界が回ることに少しのがっかり感とそれ以上の安心感がある。

 

2025年は大きく飛躍する一年にする。

もう僕がいなくても会社は回る。というか、無理してそういう状態にした。

 

だから、 僕が新しく価値を作らないと会社が滅んでいくような状態になった。

 

素ヱコ農園=卵の会社からの脱却を図りたい。

 

そもそも、僕の強みは鶏を育てることではない。5年前は全く鶏すら触ったことなかった。

僕の強みは、文字通りゼロから何か作り出せたことだと思う。

 

今年は卵に匹敵する、いや、それ以上のものを生み出したいと考えている。

全くのゼロではない。

素ヱコ農園を立ち上げた経験があるし、そのお客さんもいる。

 

その資産をうまく活かして、今やっている養鶏とうまくシナジーを作り出したいと考えている。

 

いろんな生き方がある中で、田舎で生き生きと自分らしく生きていくという選択肢もあると思う。

僕はそんな生き方をして、とても楽しく充実した毎日を送れているし、そんな生き方をもっとスタンダートにしたい。

 

そのために仕事を行う。

 

 

 

28歳。誕生日

28歳になりました。
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数日前、チェンマイから帰ってきたばかり。


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穏やかな気持ちとソワソワする気持ち。

安心感と危機管理。

 

そんな両面の気持ちを持ちながらも、穏やかな誕生日となった。

 

ささっと、27歳を振り返る。

 

プライベートでは、2人の子育て。

息子2人の成長を日に日に感じるのは嬉しかった。

 

仕事では、直売所を作ったり、菓子製造業を本格始動したり、インスタグラムがバズってフォロワー3万人になったり、創業から働いているメンバーが辞めたり、クラファンの支援者が1000人超えたり、メンバーがパートアルバイトを含めて6人から15人になった。

 

うまくいったことやうまくいかなったこと、学びの多い一年だった。

 

28歳はどんな一年にしたいか?

 

「賢者に学び、自分なりに表現する」

 

という一年にする。

 

僕が抱えている悩みなんてものは、もう既に古今東西誰か悩んで解決してる。

 

せっかく令和のこの時代に生まれたのだから、新しいことで悩んで、その悩みを解決したい。

 

そのためには、勉強が必要。

 

田舎に住んでることがとても良いと思う。

 

明治維新の中心的役割を担ったのも日本の田舎の萩の松下村塾のメンバーだった。

そういえば、吉田松陰は29歳でこの世を去った。

 

ATPの電気勾配システムを発見したピーター・ミッチェルも、イギリスの田舎の小さな研修所だった。

 

日本の田舎の農家だからこそ、新しい価値観や生き方のオルタナティブを提案できるんじゃないかな。

 

ひとまず、28歳まで元気に幸せに暮らせてることに感謝。

 

ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

野球で学んだこととこれからの5年間

僕は高校時代に野球部でレギュラーになれなかった。

(結果を出せなかった)


チームは甲子園にも行けなかった。


誰よりも練習した自信があった。

朝練は1回も欠かしたことなかったし、居残り練習も毎回やった。


家に帰っても素振りしたり、走ったり、トレーニングしたり、とにかく野球に時間を費やした。


でも、レギュラーにはなれなかった。


当時は、悔しくて悔しくて、仕方なかった。

 

なぜだろうか?


今では、理由が明確に分かる。


それはチームの戦略に則った選手じゃなかったから。


守備が上手いとか。上手くないとか。


パワーがあるとかないとかいうのは、一つの要素だ。


一人でやってる訳じゃないので、チームとして勝つ確率を増やすために、チームとして勝つ方法を増やせる選手であれば、試合に出れる。


野球は9人でやるスポーツなのだ。


9人でポジションも9個という決められた枠の中で、どういった個性を発揮して、チームの勝つための引き出しを増やせるか?が大事になる。


パワーがあるとか、足が速いとか、守備がうまいとか人にはそれぞれ個性がある。

 

僕の高校時代を振り返ると、足を活かしたプレーをするメンバーがいなかった。


そして、僕は足を活かしたプレーが得意だった。


今思うと、そこを徹底的に磨いて、足を使ったプレーが生きるための、バッティングや技を磨いていれば、チームの作戦の幅が広がっていた。


あとは、守備面などの致命的なミスがなければ、僕はレギュラーになれていた。


なのに、僕は何も考えずひたすら遠くに飛ばすためのバッティング練習をやっていた。


出塁して足を生かすためのバッティング練習を1年生の時からやってれば、結果は変わっていただろう。


もう二度と高校生の時のような惨めな思いはしたくない。


ひたすら無目的に頑張っても結果は出ない。


状況を見極めて、自分の個性を発揮できることを磨かないといけない。


その意味で、会社の今後の方向性を考えていくと、かなり明確になった。


まず、やりたいことは、

「日本の田舎から価値観を揺さぶる」

そして、提供したい価値は、


「時間を慈しむということ」


そのためにどうするか?


養鶏場は、今の飼育方法と餌作りで、同規模のものを別の場所に一つ。


畑を4町、田んぼを10町。

有機農法で野菜を作る。そのため空き家等を購入し、全国から若い人を受け入れる。


オンラインで野菜と卵と日用品セットの定期を2000人程に。


オーガニック野菜や卵、お菓子、雑貨がある店舗を伊万里-福岡間に5店舗作る。


旗艦店は牧場のように鶏やヤギや畑が近くにあって、お客さんは農を感じられるような場所に。


野菜の加工場を作り、商品にならなかったものを、糠漬けとふりかけに。店舗とオンラインにて販売。


卵の雫は、ある程度オペレーションを自動化し、生産規模を10-20倍にする。


「平飼い卵」の象徴となるお菓子として、有名店で取り扱い全国規模の銘菓にする。

 

上記をこの5-7年でやる。

社員数は50人ぐらい。


そのために必要なことはたくさんある。


でも、そこから逆算して、計画を立てて行きたい。