素ヱコ農園の日々

佐賀県伊万里市で便利になった世の中で、手間のかかるストレスフリーの平飼いで外国産の餌に頼らないこだわりの餌作りを行っています。

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地区の運動会に参加した


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昨日は、黒川町(僕が住んでいる町)の運動会だった。

 

僕は、審判長という役割を命じられため強制的な参加。

 

天気が良くて、気持ちの良い運動会だった。

 

とはいえ、僕が住んでる地区は、人が少なく、分団対抗リレーにも出れず、どこか少し寂しかった。

 

午後からは地区の皆様との懇親会。

参加者は15名は、ほぼ65歳オーバー

 

僕だけ20代という超アウェイな空間だった。

 

でも、この人たちがいなくなる10年後、どうなるんだろうか?
不安になった。

 

黒川町は人口2000人ちょっとの田舎の町。

 

そういえばどんな町なんだっけ?

 

geminiのdeep researchにて、黒川町の人口推移と歴史について調べてもらった。

 

かなり長くなったので、最後の部分だけ転記する。

 

黒川町は、明治期の村制施行により黒川村として発足し、農業や漁業、製塩業などを営む地域であった。歴史的な転換点となったのは、昭和29年(1954年)の伊万里市発足に伴う合併である。この合併は、単なる行政区画の整理ではなく、「伊万里湾開発構想」という明確な経済開発戦略に基づいており、黒川を港湾工業都市の一部として位置づけるものであった。

 

この戦略に基づき、特に昭和40年代後半から黒川町塩屋地区で大規模な七ツ島工業団地の開発が進められた。名村造船所をはじめとする企業の誘致・操業開始は、地域経済を大きく変貌させるとともに、昭和50年(1975年)には労働者とその家族の大量流入による急激な人口増加(社会増)をもたらした。これは、周辺地域で石炭産業が衰退し人口が減少する中で、際立った現象であった。

 

この工業化による人口増加は一時的なものに留まり、昭和50年をピークに、黒川町の人口は再び長期的な減少傾向に入った。これは、産業構造の変化、全国的な少子高齢化、若年層の都市部への流出といった、日本の多くの地方都市が直面する課題と共通する。七ツ島工業団地という産業基盤を有しながらも、人口減少に歯止めがかかっていない現状は、大規模工業への依存だけでは持続的な地域社会の維持が困難であることを示唆している。

 

黒川町の歴史は、行政主導の地域開発計画が、地域の経済構造と人口動態に如何に大きな影響を与えうるかを示す事例である。同時に、グローバルな経済変動や国内の人口構造変化という、より大きな力の中で、地域が持続可能性を確保していくことの難しさも浮き彫りにしている。伊万里市が策定する総合計画 における「時代に柔軟に適応し みんなで支え育てるまちづくり」という基本理念は、黒川町が今後、産業基盤を維持・発展させつつ、人口減少や高齢化といった課題にいかに対応していくかという問いに対する、一つの方向性を示していると言えよう。  

 

まさに行政主導で産業を作ってその課題が浮き彫りになってきていると思う。

 

現実に、人口はどんどん減少し、黒川町に住むのは外国人が1割を占めてきている。

ただ、その外国人は地域のコミュニティや活動には参加してない。

 

人口の中でも無視できない割合を占めているから、ここをなんとかしないといけないのではないのかなと思う。

 

また、geminiもいうように、どう地域が持続可能性を確保していくか?というのは大事な観点だ。

 

その土地ならではの、その土地でしかできないような特色のある仕事をやっていくのが良いと思う。

 

これから日本の人口はどんどん衰退していく。

地方はより顕著だ。

 

その地方において、仕事をする意味はなんなんだろうか

 

ここで次の時代のソリューションを見つけることが日本にとっても世界にとっても意味があるのではないのかなと思う。

 

キーは、農業・観光・不動産・福祉・AIだと思う。