素ヱコ農園の日々

佐賀県伊万里市で便利になった世の中で、手間のかかるストレスフリーの平飼いで外国産の餌に頼らないこだわりの餌作りを行っています。

【友達追加】で お得なクーポン配布中
友だち追加

AIエージェントを触ってみて

Chat GTPのエージェント機能はもう触ってみただろうか?

これはものすごい。

 

これまでの生成AIは高い精度で文章や音楽や動画などを生成してくれるものだった。

 

この機能を使って、仕事で使うときに、GASのコードやWEBページのコードなどの提案をもたらうために使っていて、もはや知識なんていらないなって感じがしていた。

 

でも、このエージェント機能はもっと踏み込んで、実際にwebページを操作してくれる。

 

例えば、ホームページの改修だったり、webサイトのステップ配信を組んでみたり、スプレットシートを動かしてくれたり、、、

 

capcutで動画編集もできた。

 

まだ、人よりも性能が落ちる部分はあった。

 

かなりのクオリティで、かつ、複数のタスクを同時にこなしてくれて、びっくりした。

 

近い将来、IT系や事務の人は本当にいなくなるんだろうなって確信した。

 

いや、もうすでにそうなってるのかもしれない。

 

マイクロソフトなど大手テック企業は、どんどん人員を削減しているし、なんなら、IT系では、新卒採用していないっていう話を聞く。

 

時代が大きく変わってきている。

 

そういえば、最近、コテンラジオで科学技術の歴史を聞いている。

www.youtube.com

 

科学と技術が、世界をどう変えてきたのか?

 

以前は、科学と技術は全く別物だったらしい。

 

 


古代ギリシャなどでは、科学は「テオリア(理論的考察)」と呼ばれる自由市民の暇な時間の遊びのようなものであり、知的な考察が中心でした
 

一方、技術は奴隷や職人の手による実践的な労働とみなされ、科学よりも一段低い社会的地位にありました。例えば、車輪や建築の技術は存在しましたが、その原理が科学的に解明されていなくても、経験則に基づいて使われていました。
 
ヨーロッパの伝統的な教育では、「リベラル・アーツ(自由七科)」が大学で教えられる科学的な科目だったのに対し、「メカニカル・アーツ(機械技術)」は大学ではない学校で教えられ、対立する概念として存在していました
 
だから、東京大学工学部ができたことが異例だったらしい。
 
この中で、再三言われていたことは、
 
科学技術の進化に対し、社会がそれを完全に争い、止めることは極めて困難であり、むしろその流れにどう向き合うかが問われています。また、科学技術との付き合い方については、その本質を理解し、倫理的な側面を考慮した上で、多角的な視点からアプローチすることが重要であるということだ。
 
例えば、産業革命時に、ジョン・ケイの飛び杼やジェニー紡績機などの発明は、多くの手工業者の職を奪ったので、激しい反発を受け、暴動や機械の破壊活動(ラッダイト運動など)が起こりました。
 
工場も燃やされることがありましたが、それでも技術の進歩は止まりませんでした。
 
スマン帝国のバヤズィト2世がアラビア語の印刷を禁止したり、ロシアのニコライ1世が工場機械化による指導力低下を恐れて産業博覧会を禁止したり、日本の徳川吉宗が「新規御法度」という新しいこと全般を禁じる法律を出したりするなど、権力者や既得権益層は社会秩序の安定を脅かすイノベーションを否定しようとしました。
 
しかし、これらの試みも、技術の伝播や外部からの圧力(例:黒船来航による日本の開国)によって、最終的には覆されています。
 
つまり、どんだけ抵抗しても、最終的には科学技術は人々の社会を変えていきます。
 
AIという技術は、おそらくどんだけ失業者が出ても、どんだけ社会が変わっても、これから侵食していく。
 
だから、どう正しく使うか?ってことが問われている。
 
原子爆弾を開発し、使用した歴史があるように、科学技術が必ずしも恩恵になるわけではない。でも、それが世界を変える。
 
そういう意識でやっていきたい。
 
 
僕たちは、田舎に暮らしていて、人口がどんどん減って、大変な時だからこそ、こういうったあらゆる技術はテーブルに載せたいなって思う。