Chat GTPのエージェント機能はもう触ってみただろうか?
これはものすごい。

これまでの生成AIは高い精度で文章や音楽や動画などを生成してくれるものだった。
この機能を使って、仕事で使うときに、GASのコードやWEBページのコードなどの提案をもたらうために使っていて、もはや知識なんていらないなって感じがしていた。
でも、このエージェント機能はもっと踏み込んで、実際にwebページを操作してくれる。
例えば、ホームページの改修だったり、webサイトのステップ配信を組んでみたり、スプレットシートを動かしてくれたり、、、
capcutで動画編集もできた。
まだ、人よりも性能が落ちる部分はあった。
かなりのクオリティで、かつ、複数のタスクを同時にこなしてくれて、びっくりした。
近い将来、IT系や事務の人は本当にいなくなるんだろうなって確信した。
いや、もうすでにそうなってるのかもしれない。
マイクロソフトなど大手テック企業は、どんどん人員を削減しているし、なんなら、IT系では、新卒採用していないっていう話を聞く。
時代が大きく変わってきている。
そういえば、最近、コテンラジオで科学技術の歴史を聞いている。
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科学と技術が、世界をどう変えてきたのか?
以前は、科学と技術は全く別物だったらしい。
古代ギリシャなどでは、科学は「テオリア(理論的考察)」と呼ばれる自由市民の暇な時間の遊びのようなものであり、知的な考察が中心でした
一方、技術は奴隷や職人の手による実践的な労働とみなされ、科学よりも一段低い社会的地位にありました。例えば、車輪や建築の技術は存在しましたが、その原理が科学的に解明されていなくても、経験則に基づいて使われていました。
ヨーロッパの伝統的な教育では、「リベラル・アーツ(自由七科)」が大学で教えられる科学的な科目だったのに対し、「メ
カニカル・アーツ(機械技術)」は大学ではない学校で教えられ、対立する概念として存在していました
だから、
東京大学工学部ができたことが異例だったらしい。
この中で、再三言われていたことは、
科学技術の進化に対し、社会がそれを完全に争い、止めることは極めて困難であり、むしろその流れにどう向き合うかが問われています。また、科学技術との付き合い方については、その本質を理解し、倫理的な側面を考慮した上で、多角的な視点からアプローチすることが重要であるということだ。
例えば、
産業革命時に、ジョン・ケイの飛び杼やジェニー紡績機などの発明は、多くの手工業者の職を奪ったので、激しい反発を受け、暴動や機械の破壊活動(ラッダイト運動など)が起こりました。
工場も燃やされることがありましたが、それでも技術の進歩は止まりませんでした。
スマン帝国のバヤズィト2世が
アラビア語の印刷を禁止したり、ロシアのニコライ1世が工場機械化による
指導力低下を恐れて産業博覧会を禁止したり、日本の
徳川吉宗が「新規御法度」という新しいこと全般を禁じる法律を出したりするなど、権力者や
既得権益層は社会秩序の安定を脅かす
イノベーションを否定しようとしました。
しかし、これらの試みも、技術の伝播や外部からの圧力(例:黒船来航による日本の開国)によって、最終的には覆されています。
つまり、どんだけ抵抗しても、最終的には科学技術は人々の社会を変えていきます。
AIという技術は、おそらくどんだけ失業者が出ても、どんだけ社会が変わっても、これから侵食していく。
だから、どう正しく使うか?ってことが問われている。
原子爆弾を開発し、使用した歴史があるように、科学技術が必ずしも恩恵になるわけではない。でも、それが世界を変える。
そういう意識でやっていきたい。
僕たちは、田舎に暮らしていて、人口がどんどん減って、大変な時だからこそ、こういうったあらゆる技術はテーブルに載せたいなって思う。