豆腐屋のトラックを追いかけた29歳の告白
軽トラックが僕の車の前に止まった瞬間、心臓が跳ね上がった。荷台に「豆腐」の文字が見える。すぐにスマホを取り出して写真を撮る。そして慌てて車を止めて、運転手のおじさんに走り寄った。「すみません、さっきトラックを見たんですけど、豆腐屋さんですよね?おから、分けていただけませんか?」
おじさんは最初、怪訝な顔をした。当然だ。29歳の若造が突然現れて、廃棄物をくれと言うのだから。でも、事情を説明すると表情が変わった。「ああ、養鶏やってるのか。うちもおからの処分に困ってるんだよ」
こんなことを大学時代の同期に話したら、きっと「何やってるんだ」と笑われるだろう。でも、これが新規就農の現実だった。土地なし、金なし、経験なし。ゼロから始めた平飼い養鶏の、泥臭すぎる日常がここにある。
## 捨てられる100キロのおからが、最高級の卵になるまで
佐賀県伊万里市の山間部。祖母の末子ばあちゃんが一人で営んでいた水菜農業を辞めさせ、僕は耕作放棄された金柑畑のハウスで養鶏を始めた。オランダ留学で見た循環型農業に憧れて、「環境に負荷をかけない、持続可能な農業をやりたい」という理想を胸に。
でも、理想と現実は違った。まず直面したのが餌の問題だ。
一般的な養鶏場では、配合飼料という工業製品を使う。トウモロコシや大豆粕を主原料とした、栄養バランスが計算された餌だ。でも、その原料の多くは海外産。アメリカやブラジルから船で運ばれてくる。これのどこが「循環型」なのか。
「地域にある未利用資源を活用できないだろうか」
そう考えて調べてみると、驚くべき事実が分かった。豆腐を作る過程で出る「おから」が、毎日大量に廃棄されているのだ。
近所の豆腐屋さんに恐る恐る電話をかけた。「あの、養鶏をやっているのですが、おからを分けていただけませんか?」
「ああ、ありがたい。うちも困ってるんです。毎回何百キロも出るんですが、産業廃棄物として処分するしかなくて。お金もかかるし...」
電話越しに聞こえる安堵の声。僕たちは餌が欲しい。豆腐屋さんは処分に困っている。完璧なウィンウィンの関係だった。
でも、問題があった。おからは恐ろしく腐りやすいのだ。
初めておからを持ち帰った日のことを覚えている。白くて柔らかい、豆腐の香りがするおから。「これなら鶏も喜ぶだろう」と思って一安心した。ところが、翌朝鶏舎に向かうと、異様な臭いが漂っている。おからが発酵を通り越して、腐敗していたのだ。
1日で腐る。2日経てば完全にアウト。これでは使い物にならない。
## 大学時代の「無駄な知識」が救世主になった瞬間
行き詰まった僕は、必死に解決策を探した。図書館で発酵に関する本を読み漁る。インターネットで情報を検索する。そして、ふと思い出したのが大学時代の授業だった。
佐賀大学農学部で学んだ応用微生物学。当時は「テストのための暗記科目」だと思っていた。嫌気性発酵、好気性発酵、乳酸菌、酵母菌...。正直、「将来何の役に立つんだ」と思いながら勉強していた知識だった。
でも、今になってその知識が蘇る。「おからに米ぬかを混ぜて嫌気性発酵させれば、保存期間を延ばせるのではないか」
さっそく実験してみた。おからに米ぬかを混ぜ、空気に触れないよう密閉する。いわば「おからのぬか漬け」を作るのだ。
1日後、容器を開けてみると不思議なことが起きていた。おからが熱を持っている。手で触ると、ほんのり温かい。これが発酵熱だ。微生物が活動することで生まれる熱が、悪い雑菌を死滅させる。そして良い菌だけが残り、おからが長期保存できるようになる。
「学んだことって、こうやって活かされるんだな」
29歳になって、ようやく大学時代の勉強の意味を理解した。あの時の「無駄だと思った知識」が、今の僕の仕事を支えている。
## 1件1件、手当たり次第に探し回った恥ずかしい日々
おからの保存方法は解決した。でも、次の問題が待っていた。どうやって継続的に餌を確保するか。
新規就農の現実は、想像以上に孤独で泥臭い。知り合いの農家もいない。販売ルートもない。餌の調達先もない。全てを一から開拓しなければならない。
まず、Googleマップで「豆腐屋」を検索した。伊万里市内に10件ほどヒットする。片っ端から電話をかけた。
「すみません、養鶏をやっているのですが、おからを分けていただけませんか?」
10件中、話を聞いてくれたのは3件。そのうち実際におからをもらえることになったのは1件だけだった。でも、それだけでは足りない。月2トンの餌が必要な僕の養鶏場には、圧倒的に量が不足していた。
そんな時、運命的な出会いがあった。
いつものように車で伊万里市内を走っていると、前を軽トラックが走っている。荷台に「○○豆腐店」の文字が見える。でも、その店名をGoogleで検索しても出てこない。小さな個人経営の豆腐屋で、ネットに情報がないのだ。
心臓がバクバクした。このチャンスを逃したら、二度と会えないかもしれない。信号で止まった瞬間、僕は慌てて車を路肩に停めた。スマホでトラックの写真を撮り、運転手のおじさんに走り寄る。
「すみません!さっきトラックを見たんですけど、豆腐屋さんですよね?」
おじさんは最初、警戒していた。当然だ。知らない若者が突然現れて、廃棄物をくれと言うのだから。でも、僕が必死に事情を説明すると、表情が和らいだ。
「ああ、養鶏やってるのか。うちもおからの処分に困ってるんだよ。週に200キロぐらい出るかな。全部持って行ってくれるなら助かる」
その日から、その豆腐屋さんとの取引が始まった。週2回、僕が軽トラックでおからを取りに行く。おじさんは「こんなに喜んでもらえるなんて」と言って、いつも笑顔で迎えてくれた。
## 海沿いを走り回って見つけた「宝物」
おからだけでは、まだ餌が足りない。次に目をつけたのが「いりこ」だった。
伊万里市は海に面している。漁師さんがいるはずだ。でも、どこにいるのか分からない。漁協に電話してみたが、「個人の漁師を紹介することはできない」と断られた。
仕方なく、海沿いの道を車で走り回った。港を見つけては車を停め、漁師らしき人を探す。日焼けした顔、長靴、軽トラック。そんな人を見つけると、恥ずかしさを押し殺して声をかけた。
「すみません、養鶏をやっているのですが、いりこのくず、ありませんか?」
最初の数人は「そんなものはない」と言われた。でも、諦めずに続けていると、ある漁師さんが言った。
「いりこのくず?ああ、あるよ。でも商品にならないから、いつも捨ててるんだ。持って行ってくれるなら、タダでいいよ」
その漁師さんの倉庫を見せてもらった時の衝撃は忘れられない。大きな袋に入った「いりこのくず」が山積みになっている。形が崩れていたり、サイズが小さかったりで商品にならないものだが、栄養価は正規品と全く変わらない。
「これ、全部捨てるんですか?」
「そうだよ。処分にもお金がかかるから困ってるんだ」
僕の目には「宝の山」に見えた。良質なタンパク質の塊が、ゴミとして捨てられている。これこそ、僕が探していた「未利用資源」だった。
## 醤油屋の「かす」が教えてくれたこと
餌の調達は、まだ続いた。今度は醤油屋さんだ。
伊万里市内の醤油屋さんに電話をかけた。「醤油を作る過程で出る『かす』を分けていただけませんか?」
「醤油かす?ああ、あるよ。でも、そんなもの欲しいの?」
醤油かすは、醤油を作る過程で出る副産物だ。大豆と小麦を発酵させた後に残る、茶色いペースト状のもの。人間は食べないが、アミノ酸が豊富で鶏には最高の餌になる。
醤油屋さんの工場を見学させてもらった。大きな木桶が並び、何年も発酵を続けている醤油の原料。その香りは、化学調味料では絶対に出せない深みがあった。
「この醤油かす、どうされているんですか?」
「月に50キロぐらい出るかな。いつも処分に困ってるんだ。肥料として畑に撒くこともあるけど、それも限界があるし...」
また同じパターンだった。品質は良いのに、使い道がなくて困っている。僕が引き取ることで、醤油屋さんも喜んでくれた。
## 29歳の父親が学んだ「循環」の本当の意味
こうして1年かけて、僕は地域の餌調達ネットワークを構築した。豆腐屋さんからはおから、漁師さんからはいりこのくず、醤油屋さんからは醤油かす、農家さんからは野菜くず。全て「廃棄物」として捨てられるはずだったものだ。
でも、僕の鶏たちにとっては最高のご馳走になる。顔の見える人たちから、安全で新鮮な材料を仕入れる。大手飼料メーカーの配合飼料とは全く違う世界だった。
朝5時、鶏舎で発酵したおからを鶏たちに与える。2,000羽が一斉に集まってくる光景は圧巻だ。黄金色の卵黄、弾力のある卵白。この卵は今、銀座のミシュラン三つ星レストラン「ロオジエ」にも届いている。1個120円という価格でも、リピーター率は8割を超える。
捨てられるはずだったおからが、最高級の卵に変わる。これが本当の「循環」なのだと思う。
家に帰ると、4歳、2歳、0歳の3人の子供たちが迎えてくれる。「お父さん、今日は何をもらってきたの?」と4歳の長男が聞く。「おからだよ。これが美味しい卵になるんだ」と説明すると、目を輝かせて聞いてくれる。
妻は「また変なもの拾ってきて」と笑いながらも、僕のやっていることを理解してくれている。末子ばあちゃんも「啓は面白いことするねえ」と言って見守ってくれている。
満員電車に揺られることもない。上司の顔色を見る必要もない。朝は鶏の世話から始まり、夕方には家族と食卓を囲む。この田舎で、自分らしく豊かに暮らしている。
## トラックを追いかけ続ける理由
新規就農から5年。今でも僕は新しい餌の調達先を探している。先日も、米屋さんのトラックを見かけて追いかけた。「米ぬか、分けていただけませんか?」
29歳でトラックを追いかけている。